ただ、身の回りを愉快にしたい。オルタナティブな仕掛け人と巡る、三重県・伊勢志摩|東山迪也(FOLK FOLK代表)

本企画は、その土地に根ざして活動するキーパーソンの助手席に乗り込み、その人の”行きつけ”を巡りながら、生い立ちや地元への想いを紐解いていくインタビュー連載です。

近鉄とJRが乗り入れる伊勢市駅を出ると、外宮へと続く参道がまっすぐに伸びている。朝の空気はまだ冷たく、参拝者らしき人たちがぽつりぽつりと行き交う。

待ち合わせの時刻ちょうど、音もなく一台の白いテスラが駅前に滑り込んできた。運転席の窓から手を振っているのは白いジャケットの男性、東山迪也さんだ。

音楽の専門学校を卒業後、ブライダルの世界に飛び込み、20代で独立。2017年には、廃業したネットカフェを改装し、8000万もの資金をかき集めて、自身がプロデュースする結婚式場「FOLK FOLK」を立ち上げた。

それを皮切りに、カフェ、クリエイティブ会社、電力会社、地域通貨、複合施設など、手掛ける事業の数は両手で足りない。その手腕は行政にも届き、総務省の地域力創造アドバイザーまで務める。

肩書きだけを見れば、野心に満ちたプロデューサー像が浮かび上がってくる。けれど、その事業のどれもが、いつも自分ではない誰かの方を向いている。「FOLK FOLK(民衆、人々)」という社名が、それを象徴するように。

なぜ、それほどまで利他的でいられるのか。本人にそう聞いても、「そんなこと意識したことない」と躱されてしまう。だとすれば、彼を外へ外へと突き動かしているものは、いったい何なのか。それが知りたくて、助手席に乗り込んだ。

東山迪也(ひがしやま・みちや)
1986年、三重県志摩市生まれ。伊勢市在住。FOLK FOLK代表。ウェディング事業を起点に、REP Inc.、CO Blue Center、NPO三重ソーシャルビジネスファンドなどを立ち上げる。総務省地域力創造アドバイザー。著書に『生き急ぐ者のすべて』。

目次

わらしべ長者の、白いテスラ

——先ほどの登場シーン、まるでスーパースターのようでした。白いテスラから、白いジャケット姿で現れるなんて。

いや、これほんまに恥ずかしくて(笑)。いつもはジャージでゆるゆるに乗ってるんですよ。今日だけたまたまこの服を着てきたら、こんなことになってしまって。

——そもそも、どうしてテスラに?

この前までは三菱のデリカに乗ってたんです。家族の受けも良かったですし、特に買い替える予定もなかったんですけど、ちょうど『FAN Energy(ファンエナジー)』という電力会社を立ち上げたタイミングで、電気自動車に少し興味が湧いていて。

そんな折、友人から「子どもが生まれてファミリーカーに買い替えるから、今乗ってるテスラいらない?」って連絡が来たんです。下取り価格以下でいいからと、破格の値段で譲ってもらいました。

——それはラッキーですね。

仮に飽きて売ったとしても、利益が出るぐらいなんで、まぁいっかと。とはいえ、自分から「どうしてもテスラに乗りたい!」と熱望したわけではないので、正直かなり気恥ずかしいんですけど。

——でも運転されている姿を見てると、すっかり馴染んでますよ。

そうなんですよ。不思議なもので毎日乗ってるとだんだん「自分はこういう車が似合う人間なんやな」というマインドになってくる。環境や持ち物に引っ張られるってことってありますよね。

暮らしの延長にある神域

伊勢神宮 外宮|衣食住や産業の守り神・豊受大御神を祀る伊勢神宮の正宮の一つ。

——朝早くから参道に人が多いですね。ミチヤさんも普段からよく来るんですか?

毎月1日の「一日参り」だけはなるべく行くようにしてます。月始めに神様へご挨拶する習慣が、昔から地域にあって。朝の8時、9時ぐらいに来ると、伊勢中の仕事仲間もこぞって来るから、ちょっとした社交の場にもなってますね。

——お参りという行為が、日常の延長線上にあるんですね。

そうですね。伊勢神宮って、実はこの地域に点在する125社の総称で、その頂点にあるのが内宮と外宮なんです。天照大神を祀る内宮は、みんなが知ってるいわゆる「お伊勢さん」。一方で、今いる外宮は「豊受大御神」という食の神様を祀っていて、僕らにとっては身近な近所の神社という感じ。悩みを解決しにいく場所というより、「今月もよろしく」と挨拶をしに来る場所なんです。

——「お参り」というと「お願い事をしに行く場所」のイメージがありました。

そもそも伊勢神宮自体、個人的な願い事を叶えてもらうための空間じゃないんですよね。「神恩感謝」と言って、神様への感謝や地球への感謝、ひいては世界平和を祈る場所。僕らも幼い頃から、手を合わせるときは「住所と番地と名前を言って、『いつもありがとうございます』だけでいい」と教えられてきました。それ以外の、自分のための欲は言うな、と。

——自分のための欲は、願わない。

そういう精神文化が流れているんですよ、この土地には。20年に一度、社殿をまるごと建て替える「式年遷宮」の最後に、伊勢市民が白い石を神域に敷き詰める「お白石持」という行事があって、そのときだけ、普段は神職しか入れない最高聖域に入れるんです。

前回の遷宮のとき、横で70代、80代のおばあちゃんが石を置いているのを見て、「この人には、次の遷宮はもうないかもしれないんやな」と思ったら、自分の持ってる一粒の石の重みがまるで違って見えた。2000年の歴史の一部に、いま自分も立っている。そういうことを感じやすい土地なんだと思います。

小3で芽生えた、プロデューサーマインド

mike|外宮の参道からほど近い、パンと焼き菓子の店。元FOLK FOLK初期メンバーの中村美穂さんが、三姉妹の姉とともに営む。
ミチヤさんが「次のローカルヒーロー」と目をかける存在。

——ミチヤさんは、生まれも育ちも伊勢なんですか?

いや、生まれは志摩市の海が近いエリアです。伊勢からさらに南へ下った、半島の先のほう。でも高校は伊勢だったので、毎日電車で1時間かけて通っていました。

——どんな少年だったんでしょう。

完全に『SLAM DUNK』直撃世代なんで、バスケ一色でしたね。小3から始めて、高2までは本気でやって県選抜に選ばれた時期もあったので、同世代の中ではそれなりにうまい方だったと思います。

なんでも要領よくこなすタイプだったから、「お前は器用に生きてていいよな」と妬まれることもありました。けどね、実は生まれつき気管支が人よりはるかに細くて、喘息が頻発する体だったんです。3歳から高校を卒業するまで、毎月県立病院に通っていましたから。

——順風満帆どころか、人知れずそんなハンデを抱えていたんですね。

それに、家庭事情もちょっと複雑で。僕が小3のとき、父親が突然失踪したんです。急に大黒柱にカーンと穴が開いてしまったもんだから、小3にして「俺がこの家、回さなあかん」というスイッチが入った。末っ子なのに。小4ぐらいには母親に「給料いくらなん」「これからどうすんの」「じいちゃんばあちゃんの面倒どうする」って、あらゆることを気にし始める、可愛げのない子どもでした。

——小3にして、強制的にプロデューサーマインドが芽生えた。グレてしまってもおかしくないのに。

片親であることへの恥ずかしさはあったけど、不思議と闇落ちはしなかったですね。身体のハンデを背負っていたぶん、逆境への耐性がついていたのかも。母親からもずっと「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言い聞かされていましたし、もしかしたら今の自分の原点は、あの頃の家庭環境にあるのかもしれませんね。

——そこから、ずっと地元に?

いや、10代の終わりに、一度だけ大阪に出てます。目的は音楽。当時、ベースにどハマりしてて。親には「ベースをやるために音楽学校へ行かせてくれ」と言っても絶対に首を縦に振らないと思ったので、「総合音楽」というビジネス寄りの学科を選んで、「絶対に将来の就職に役立つから!」って説得して(笑)。

その代わり、「バンドを組んで、CDを出して、レーベルに所属して、ツアーを回ったら帰る」とも伝えてました。それを21歳で全部実行して、やりきったんです。

——そこまでの手応えと実績を掴んでいたのであれば、プロとして音楽を続ける選択肢もあったのでは?

未練がなかったわけではないけど、挫折とも違うんですよね。ライブハウスで働きながら音楽を続ける生活ってほんまに稼げないし、しんどい。このままだと音楽そのものを嫌いになってしまう予感がしたから、音楽は仕事から切り離して、趣味のほうに置いておこうと決めたんです。

スーツが着たかっただけ

FOLK FOLK|ミチヤさんが立ち上げた結婚式場。専属シェフを置かず、その日だけ地域のレストランオーナーを招くスタイルが特徴。
カフェやホステルも併設し、宇治山田駅から内宮へ抜ける「御幸道路」活性化の中心に立つ。

——この「FOLK FOLK」が、ミチヤさんの事業の出発点なんですよね。そもそも、どうしてブライダルの仕事を志したのでしょうか。

これ、理由を聞いたら拍子抜けしますよ。せっかく社会人になるなら、とにかくスーツが着たかった。それだけです。地元の求人紙にたまたま結婚式場の求人情報がでかでかと載ってて、「これなら音響の経験も生きるし、スーツも着れるんちゃう」ぐらいの軽いノリで面接に行きました。

——その後の人生を決定づける入り口が、そんな動機だったとは。面接はうまくいったんですか?

いや、めちゃくちゃでしたよ。当時21歳そこらで、まともなバイト経験といえばテーマパークのゴーカート乗り場の受付ぐらい。「サービススタッフの経験はありますか」と聞かれて「サービス精神ならめちゃめちゃ旺盛です!」って答えて爆笑されたり。でも、結果的にそれが面白がられて、奇跡的に採用されたんです。

——入社してからは、どんな仕事を?

最初の配属は、披露宴会場で新郎新婦を先導するバンケットスタッフ。そこで「お前、そのテンションで喋れるなら絶対営業に行ける」と言われて、入社3、4ヶ月で新規カップルの案内担当に回されることになりました。

これが驚くほど自分の性に合っていて、成績もぐんぐん伸びた。そんな折、先輩から「営業さえできれば、どんなビジネスもできるぞ」って言われたんです。会社に決められた給料で働くのも物足りなくなってきたから、「よし、それなら自分でやろう」と独立を決めました。

——別に業界への憧れがあってこの道を選んだわけではなかったんですね。

一切なかったですね。当時はまだ「ウェディングプランナー」が女性の憧れの職業だった時代ですけど、僕にはそのフィルターがなかった。だからこそ、飛び込んだ瞬間に「この業界、課題だらけやな」と見えたんです。

当時は披露宴の流れがパッケージ化されすぎていて、新郎新婦が「こんなことをやってみたい」と言っても、なかなか叶えづらい仕組みになっていた。毎週何十組も結婚式が繰り返されるのに、顔ぶれが違うだけで、中身はほとんど一緒。その光景に、すごく違和感がありました。アイデアとか寄り添いより先に、既存の「形式」が先行してるんじゃないかって。

——じゃあ、そのおかしな業界をぶっ壊してやろう、と。

いや、そこはちょっと違くて。別にメインストリームを否定したいわけではないんですよね。僕がしたいのは「パンク」じゃなくて「オルタナティブ」。既存の枠組みに収まりきらない新郎新婦に対して、「こんなのもありまっせ」という代替案を差し出したいだけなんです。

文化を、資本主義から取り戻す

——業界の外から飛び込んで、「オルタナティブ」を掲げて走ってきたミチヤさんの目に、いまのブライダル業界はどう映っていますか。

これ、最近SNSでも発信したんですけど、「文化の資本主義化がいちばん進んでる業界って、ブライダルなんちゃう?」と思っていて。結婚式って、元々は家でやっていたものなんですよ。それをホテルや式場が引き受けるようになり、ビジネスにどんどん振り切っていくうちに、婚礼という文化そのものが持つ本来の価値が薄まってしまった。

——実際、僕の同世代でも「お金もないし、親戚で食事をするくらいでいい」という選択が、すっかり当たり前になっています。

そうですよね。マイホームなら資産として手元に残るけど、「結婚式にかけたお金の見返りは?」と聞かれると、答えるのが難しい。コスパとかタイパが叫ばれる時代ですから、優先順位が下がっていくのも無理はない。それこそ僕らは、その見えない価値をどうにか数値化できないかと試したことがあるんです。結婚式をやるかやらないかで、その後の人生がどう変わるのか。

——面白いアプローチですね。どういった結果が出たんですか?

いちばん分かりやすい指標が「離婚率」です。しっかり披露宴をして、大切な人たちに見守られてから新生活を始めたカップルと、籍だけを入れたカップルとでは、その後の離婚率に明らかな違いが出た。夫婦生活の中ですれ違いが起きたとき、ふとあの日の情景が思い浮かんで、「仲直りしようか」と思いとどまれる。そういう不思議な力があると思うんです。

——なるほど。そこに確かな価値があると。一方で、だからといって「式に何百万円もかけよう」という単純な話でもないですよね。

まさにその通りです。400万、500万かけて結納品の豪華さを見せつけるような、昭和の式に戻したいわけでもない。かといって、安売りし過ぎると服と一緒で、簡単に捨てられてしまう。だから現代のライフスタイルに合わせた「適切な価格帯」を模索する必要があって、それをできるのは超柔軟な僕らしかいないでしょ、と。

ただ、儀式の本質って突き詰めれば「信じること」だから、数字やロジックで語りすぎると鋭利に伝わってしまう。そこで僕らは、結婚式を単発のイベントとして売るんじゃなくて、そこを起点にした「ライフプランニング」の提案へと舵を切りました。

——結婚式を起点にした、ライフプランニング。

例えば、僕らのカフェで出会ったカップルが、ここで結婚式を挙げて、子どもが生まれたら、今度はうちが提供するおもちゃのサブスクを利用してくれる。マイホームを建てるタイミングになれば「うちのクリーンな電気はどうですか」と提案できる。

結婚式そのものは人生において点のようなイベントかもしれないけれど、その前後のあらゆる延長線上に「FOLK FOLK」のマインドが浸透していく。そういう、人生に寄り添うエコシステムをつくることが、僕のやりたいことなんです。

四十歳で、ネットから消える

——ここからは、志摩に向けてのドライブです。少し長い道のりなので、立ち入ったこと聞いてもいいですか?著書『生き急ぐ者のすべて』に書いてあった「現在35歳、終点まであと5年」という一節。あれってどういう意図で書いたんでしょうか?

ああ、本の冒頭に書いた話ですね。県立病院に通ってた頃、主治医に「このまま不摂生な生活してたら、40歳で死ぬよ」って言われたんです。脅しのつもりだったんだろうけど、10代の僕はその言葉を妙にすんなりと受け止めてしまって。多分人生で初めて「死」を意識した瞬間だったんじゃないかな。

そんな経緯もあって、人生の終点をとりあえず「40歳」に設定してみたんです。そこから逆算すると、人生の密度が高まるというか、レバレッジがかかると思って。目の前の失敗も、40年というスパンに引き伸ばして見れば、失敗じゃなくてただの糧になる。失敗って、思い込みですから。

——あれから5年。その40歳が、もうすぐそこまで来ています。

実はね、今こっそり計画していることがあって。40歳を境目に、SNSからふっと消えてやろうと思ってるんです。全然会っていない人からしたら、「あれ?ミチヤくん生きてる?」みたいな状態になる。もちろんリアルにはいますよ?ただ、ネットの世界からだけ隠居しようかなと。

——なぜ急にそんなことを?

この間、昔一緒にバスケをやってた1つ上の先輩が亡くなったんです。長いこと会ってなかったけど、SNSでお互いの動向は見えてたから、どこかで「つながってる感じ」はあった。だけど、亡くなった翌日から、僕は何も変わらず、平然と仕事をしてるんですよ。この距離感、なんなんだろうって思って。

もしこっちから連絡してたら、もっと密な関係になれたかもしれんのに。SNSは情報としては便利だけど、絆としてはすごく細い。そういう気持ち悪さがずっとあったんですよね。だから1回、人生をリアルのほうだけで生きてみたいなと。

——それは、SNSに疲れたから離れる、というのとも少し違いそうですね。

そうですね。むしろこれは、「俺という存在に頼らないで」という、世の中への提案でもあるんで。人に依存するんじゃなくて、考えのほうに依存してほしい。だってブッダ、今いませんやん。それでも、彼が残した教えをたどって、みんな生きている。僕も同じで、僕という存在はどうでもよくて、考えのほうだけ置いていくから、と。

——考えだけを残して、本人は姿を消す。まるで宗教の開祖です。失礼ながら、ミチヤさんには、教祖になれるだけの求心力があるように思いますが。

いや、僕ほんまに天邪鬼なんで、教祖には絶対ならないですよ(笑)。なれるとしたら、教典のほう。賞とか肩書きとか、個人として評価されることにあんまり興味がなくて。

それに、僕が残したいのは「こうすればうまくいく」という答えじゃなくて、「こっちのほうが豊かじゃない?」という問いのほう。僕がいなくなっても、うちのスタッフが「ミチヤさんだったら、どう乗り越えるかな」って自分で考えられたら理想。そういうキャッチボールが、昔から好きなんですよ。

利己と利他のあいだで

横山展望台|英虞湾(あごわん)に浮かぶ、大小60もの島々とリアス海岸を一望できる絶景スポット。

——すごいいい眺めですね。今日の締めくくりに、どうしてこの場所を選んだのでしょうか?

ここ、僕が地元で一番食らった場所なんです。高校の頃にたまに来てたんですけど、数年前に観光用のでっかいウッドデッキができて。改めて生まれ育った風景を見渡したとき、「うわ、地元めっちゃええやん」って圧倒されて。学生の頃は、ただの田舎の風景に過ぎなかったのにね。そうではないと気づくまでに、やっぱり、大人にならなあかんかった。

——「FOLK FOLK」をはじめ、ミチヤさんの主要な事業は伊勢のほうにありますよね。生まれ故郷のこの志摩で、やりたいこととかはないんですか?

それで言うと、いま志摩の行政と一緒に「サーフタウン構想」というプロジェクトを進めてるんです。地方創生や町づくりって、根っこをたどると「人口を増やすこと」に行き着きがちじゃないですか。でも、「どんな人でもいいから去年より何人増えた」という数値だけで語るのは、ちょっと違うなと思っていて。

大事なのは数よりも、「どんな人に関わってほしいか」という定義のほう。志摩の場合、それが「サーファー」でした。ただ、一般的にイメージされる「サーファー=波に乗る人」という狭い枠組みのままだと、子どもやおじいちゃん、おばあちゃんたちが置いてけぼりになってしまう。だから僕らが理想とする「サーファー」ってどんな人なのか、分解するところから始めたんです。

——分解した先に、どのような答えがあったのでしょう。

僕たちが導き出したのは、「自然が大好きで、健康な人」ということでした。波に乗ってるかどうかは本質じゃない。だから僕は、家の隣の85歳のじいちゃんのことも、「サーファー」って呼んでるんです。「じいちゃん、めっちゃ健康やし、自然好きやん。サーファーやで」って(笑)。そういう人が増えていく町が、いちばん豊かさに近いと思うんです。

——サーフタウンも、結婚式の話も「誰も置いてけぼりにしない」という一点でつながっているように感じました。最後に漠然とした質問になるんですが、ミチヤさんはなぜそこまで、自分ではない誰かのほうを向いていられるんですかね?

それ、僕も今日一日考えてたんですけど、利他的であろうと思ってやってる人って、たぶん利他じゃないんですよね。意識した時点で、どこかで見返りを求めてしまうから。というか、利己と利他の境目なんて、ほんまはないのかもしれない。おもろい友達がおって、おもろい場所に住んどったら、それだけで人生、愉快じゃないですか。だから無理やり言うなら、ただ身の回りを愉快にしたいだけなのかもしれないです。

——身の回りを、愉快に。

日頃はそんなこと、これっぽちも意識もしてないんですけどね。けど、僕の名前、「迪也」と書くんですけど、この「迪(みち)」という字って、自分自身を前進させ、他者を導いていく、という意味があるんですよ。名は体を表すなんて言葉もあるけど、気づいたら、ほんまにその通りの仕事をしてる。不思議ですよね、そういうのって。

※記事は2026年7月時点の内容です。

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取材・執筆:吉山日向
1992年神奈川県生まれ。多摩美卒。面白法人カヤックのwebディレクターを経て、2019年に『ジモコロ』を手掛けるHuuuuに入社。2026年2月に独立し、フリーランスのライター・編集者としてさまざまなコンテンツを制作する。風呂好き。X Instagram

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