“どん詰まり”のこの町が、心地良い。マッサージ世界一の理容師と巡る、神奈川県・葉山町|山口太郎(山口理容店 四代目)

本企画は、その土地に根ざして活動するキーパーソンの助手席に乗り込み、その人の”行きつけ”を巡りながら、生い立ちや地元への想いを紐解いていくインタビュー連載です。

都心から電車に揺られて約1時間。神奈川県・三浦半島の付け根に位置するJR逗子駅に降り立つと、潮の香りがかすかに吹き抜ける。待ち合わせの時刻を少し過ぎた頃、一台の車がゆっくりとこちらへ向かってきた。

運転席から降りてきたのは、赤いダウンジャケットに黒のキャップを被った長身の男性。葉山で百年続く理容室「山口理容店」の四代目、山口太郎さんだ。

2025年、世界27カ国・約450人がマッサージ技術を競い合う「マッサージチャンピオンシップワールドツアー」へ唯一の理容師として出場し、見事、総合優勝の栄冠に輝いた。同年8月には『情熱大陸』に出演するなど、その勢いは増すばかりだ。

「世界一になって、ようやく勝負のスタートラインに立てた感じがするんです。」

世界中からオファーが絶えない今もなお、彼は生まれ育ったこの場所を離れようとはしない。その理由は一体どこにあるのか。淡々とした語り口の奥に秘められた、泥臭くも純粋な「床屋魂」を紐解いていく。

山口太郎(やまぐち・たろう)
1992年生まれ、神奈川県葉山町出身。山口理容店 四代目。理容専門学校を経て、新宿の理容店で五年間修行。横須賀の米軍基地内の理容店勤務を経て、地元・葉山に戻り2020年に「ナイトバーバー」を始動。2025年、マッサージ世界大会フリースタイル部門で優勝、総合優勝も果たす。同年8月、『情熱大陸』出演。

目次

町の床屋ではなくなってきた

——あれ?今流れてるのは……もしかして『情熱大陸』のテーマ曲ですか?

つい流しちゃうんですよね(笑)。放送からもう半年以上経つんですけど、いまだにその反響があって。おかげさまで、テレビ出演の依頼もだいぶ増えましたね。

放送の翌日、お店の前に立ってたら、京急バスが僕の目の前でぴたっと止まったんですよ。そしたら運転手さんが窓を全開にして「情熱大陸見たよ!頑張ってね!」って。あのときは嬉しかったなぁ。

——それはグッときますね。

葉山の人たちって、普段はあまり感情を表に出さないというか、落ち着いた雰囲気の方が多いんです。でも、あのときは行く先々で「見たよ!」って声を掛けていただいて。町全体に祝福されているような、不思議な高揚感がありました。

一方で、ここ最近の活躍を見て、「遠い存在になってしまった」と思っているお客様もいるように感じていて。フラッと立ち寄れるような“町の床屋”としての気軽さが薄れてしまった。そこは僕自身も痛感しています。

——有名になればなるほど「町の床屋」という枠には収まらなくなっていく。なかなか悩ましいところですね。

代々続いてきた山口理容店の価値を高めたい。その一心で努力してきたので、それ自体への後悔は全くなくて。ただ、そうすることで生まれた変化にどう向き合っていくかは、今の自分の大きなテーマだと思ってます。

栄光に至るまでの暗黒時代

プレドール|「葉山のパン」と言えば真っ先に名が挙がる名店。焼きたてが次々運ばれる90分制モーニングは行列必至。
太郎さんおすすめの「全粒粉塩パン」は、一口食べるとバターの風味と塩味のバランスがクセになる。

——太郎さんは、生まれも育ちもずっと葉山なんですか?

はい、生粋の葉山っ子です。初めて地元を離れたのは20歳のとき。18歳で理容の専門学校に入り、卒業と同時に修行のため東京へ出ることにしました。

——慣れ親しんだ地元を離れる背景には、どういった決意があったのでしょう。

専門時代、パーマのロッドを巻く速さと正確さを競う大会に打ち込んでいた時期があって。神奈川県優勝、関東大会準優勝と、そこまでは順調だったのですが、最後の全国大会で敢闘賞に終わってしまった。それがもう、死ぬほど悔しくて「プロの世界では、本物のチャンピオンになりたい」という火がつきました。

とにかく圧倒的な環境に身を置きたい一心で行き着いたのが、かつて世界大会を制したレジェンド理容師が率いる、業界屈指の超名店でした。その看板の下で学べるのならと、迷わず飛び込むことにしたんです。

——憧れの名店での日々はどんなものでしたか?

「修行」の二文字に尽きますね。男子寮での住み込み生活で、最初の一年は三時間睡眠が当たり前。半年ぶりに実家へ帰る機会があったんですけど、両親のご飯を食べたら、涙が止まらなくなっちゃって。それくらい追い込まれていたんだと思います。

——過酷な日々ですね。技術のほうは、順調に伸びていったのでしょうか?

それが全然うまくいかなかったんですよね。専門時代はそれなりにチヤホヤされていたのに、いざ東京へ出たら化け物みたいな同期がゴロゴロいて、大会で次々と賞を総なめにしていく。一方の僕はなかなか結果が出ず、手は荒れるわ、頭はハゲるわ、私生活もボロボロで。あの頃は完全に「落ちこぼれ」でした。

それでもなんとか踏ん張って、最終的には店長を任せていただくまでには成長できたのですが、五年という節目で区切りをつけ、お店を離れることにしたんです。

——それで地元へ戻って、山口理容店を継ぐことに?

いや、それが父に相談したら、「お前を雇う余裕はない」とはっきり断られてしまって。アテにしてはなかったけど、どこかで「息子だから」という淡い期待があったのも事実でした。

食いつなぐために池袋の1000円カット店に飛び込んだのですが、そこは圧倒的な「数」の世界。多いときは一日に50人以上担当する日もあって、それでも日当は1万円ちょっと。生活に足りない分をキャッシングで埋めていくうちに、気づけば借金が膨らんでいって。

——そんな苦労時代があったとは。今の活躍からはとても想像つきません。

あの頃はまさにどん底でしたね。でもあの時期に理容業界の構造を身をもって知ったというか。「雇われている限り、このループからは抜け出せない。やっぱ自分でやんなきゃ稼げねえんだ」とはっきり確信しました。今思えば、あのときの気づきが、自分の原点になってるような気がします。

——そこからは、どう動かれたんですか?

途方に暮れながら求人雑誌を眺めていたら、ふと横須賀のベース(米軍基地)にある理容室の求人が目に留まったんです。よくよく条件欄を見ると、「チップ次第で月80万も可能」と書いてある。「え、マジ?」と思って、すぐに電話しました。

そうしたら社長が出て「今から面接しない?」って。こっちも必死ですから、藁にもすがる思いですぐに会いに行きました。着くなり「俺こんなの切ってます」と見せたら、その場で即採用。トントン拍子すぎてびっくりしましたね。

——すごい展開ですね。実際に入ってみて、いかがでしたか?

これまでいた日本の理容室とは完全に別世界で、衝撃を受けました。屈強な黒人の兄ちゃんたちがずらっと並んでいて、僕の感覚からすると「昨日切ったばっかじゃん」と思うような短髪の方が次々と席に着くんです。そこからさらにバリカンで、ミリ単位のラインを入れていく。いわゆる「フェードカット」という技術なんですが、これが異国の美意識なんだと圧倒されました。

当時はまだ技術そのものが日本にほとんど入ってきていなかったので、ベースという本場でその神髄をたたき込まれたのは本当にラッキーでした。日本の伝統的な床屋技術とベース仕込みのフェードカット。この二つが、僕にとっての大きな武器になっています。

——ようやく光が見えてきた。ベースでの日々は長く続いたのでしょうか。

とにかく借金を返さなきゃいけない一心で、毎日がむしゃらに働きました。結局3年間くらいお世話になったのかな。多い時はチップ含めて本当に月80万くらい稼げて、なんとか借金を完済して。さあ、これからだと思った矢先にコロナが直撃。基地内の理容店も強制的に営業停止になってしまったんです。

つまらない。でも一生離れない。

もり兵衛|葉山町一色の御用邸前にある日本蕎麦屋。細く硬く、しこしこと歯に跳ね返る個性の強い蕎麦。
和モダンな店内はカフェのような雰囲気で、地元客にも観光客にも愛される隠れ家的な一軒。

——頼みの綱だったベースが閉鎖され、まさに崖っぷち。そこからどう立て直されたんですか?

借金を返し終えた直後だったので、次の一手を考えるにはちょうどいいタイミングでもあったんですよね。そこで始めたのがナイトバーバーでした。父は夕方六時には店を閉めるので、それ以降の時間を活用しようと思いついたんです。

——お父さまはその提案をすんなり受け入れてくれたのでしょうか。

「夜に店を開けたってお客さんが来るわけない」とはっきり反対されましたね。でも、とにかくやるしかない。まずはずっと壊れたままだった店のサインポールを新調することから始めました。お店に面した国道134号線の辺りって、夜になると本当に真っ暗で。そこにピカピカ光るサインポールが回り始めると、思いのほか目立つんですよ。

案の定、ポツポツとお客さんが来てくれるようになって。そこからタウンニュースに取り上げられたり、YouTubeを始めたりと、少しずつ輪が広がっていきました。今でこそ「子育て層や深夜まで働く人の需要があった」と言ってますが、当時は戦略なんて何もない。たまたまそこしか空いてる時間がなかった、というのが正直なところでした。

コロナ渦中に始めたYouYTubeは、いまや登録者数15万人ほどのチャンネルに成長

——ナイトバーバーの成功を機にYouTubeもスタートされ、少しずつ名前が知れ渡っていきました。今の活躍を決定づけることになった「マッサージ世界大会」に出場されたのは、どういった流れだったのでしょうか?

これはもう、完全にご縁ですね。ある常連さんに「最近行ったマッサージがすごく良かった」と教えてもらったんです。実際に足を運んでみたら、タイ古式マッサージの日本2位というすごい方で。施術中に雑談をしてたら「たまたま今年、日本で世界大会が開催されるから、太郎さんも出てみれば?」と誘っていただいたんです。それがすべての始まりでした。

——そして、初出場でいきなりの総合優勝。あの結果を、ご自身ではどう捉えていらっしゃいますか?

それまでの僕を突き動かしてきたエネルギーは「いつか絶対に見返してやる」という反骨心でした。専門時代は周りに負ける気がしなかったのに、いざ社会に出たら全然うまくいかず、そのときの惨めさや悔しさをバネに走り続けてきた。だからあの優勝でようやく“ひっくり返せた”というか。喉の奥に引っかかっていたものがスッと消えたような、そんな解放感がありましたね。

——SNSを見ていると、海外へ技術指導に行かれたりと、活動の幅が広がっていますよね。そうなると、拠点をどこか別の場所に移すという選択肢も出てくるのではないでしょうか?

たまに聞かれるんですけど、考えたこともないですね。もし仮にアラブの石油王から「一兆円あげるから専属になってくれ」と言われても絶対に行かない。葉山でやり続ける。これだけは自分の中で絶対にブレることのない信念です。

——そこまで仰るということは、やはり「葉山」という土地に人一倍の愛情があると。

うーん。「愛情」とは少し違うんですよね。ひいおじいちゃんがたまたま葉山で商売を始めて、たまたま僕が四代目だった。もし店が別の場所にあったら、きっとそこでやっていたと思いますし、言葉を選ばずに言えば、ここを「つまらない場所」とすら思ってますし。

——つまらない。

だって、場所としてはどん詰まりの僻地ですからね。電車も通っていないし、お世辞にもアクセスがいいとは言えない。土地柄、クリエイティブで面白いお客さんにたくさん来ていただけることは感謝してますけど、本当にそれだけ。町を良くしたいとか、盛り上げたいという気持ちは一切持っていない。そんなことを僕が言うのは、お節介だし、おこがましいとすら思うんです。

——意外な回答でした。地域に根ざして商売する以上、町とのつながりを意識するのが当たり前だと思っていたので。

たまに常連さんから「地域の会合に来い」「神輿を担げ」とか言われたりもしますけど、人付き合いも得意じゃないし、興味がないものには出ない。父もそうやって地元のコミュニティとは適度な距離を置いて、自分の商売と向き合ってきた。その背中を見て育った僕にも、同じ血が流れているんでしょうね。

——それでもこの土地を絶対に離れないと決めているのは、なんだか不思議な気もします。

そこは自分でも矛盾しているなって思う部分です。「町に興味がない」なんて言いながら、別の土地で死ぬのは絶対に嫌だ。つまらないとは思うけど、やっぱり葉山がいい。落ち着くんです。葉山と山口理容店は一心同体であるとすら思います。これに関しては言語化が難しいというか、もはや本能に近い感覚なんでしょうね。

「佇まい」は、体が語る

&FOREST Hayama|葉山の自然に包まれた24時間営業のウェルネスジム。
国産スギ無垢材と緑に囲まれた空間で、トレーニングやスタジオレッスン、スチームサウナ、コワーキングも楽しめる。

——このジム、雰囲気がいいですね。お気に入りのポイントはありますか?

一番は素足でトレーニングができるところですね。一般的なジムだとシューズが必須なんですが、ここはマリンスポーツが盛んな地域ということもあって、そのあたりがかなり自由。24時間営業しているので、好きなタイミングで来れるのも助かってます。

——太郎さんといえば鍛え上げられた体も印象的です。そもそも筋トレを始めたきっかけは何だったのでしょう?

最初は本当に単純ですよ。「モテたかったから」、これに尽きます(笑)。でもいざ始めてみると、自分の体が目に見えて変わっていく過程が面白くて、すっかりのめり込んでしまいました。

——その筋肉は、やはり施術にも活かされているのでしょうか。

もちろんです。うちはなんといってもシャンプーが売りなので、相応のパワーと持久力が必要なんですよ。理容・美容の仕事って指先の繊細な技術に注目されがちですけど、その土台となる体がしっかりしてないと、本当に満足いただける施術はできないと思ってます。

——太郎さんは、自身の見せ方、いわゆる「セルフプロデュース」についても並々ならぬこだわりをお持ちですよね。

そうですね。プロとして「佇まい」は本当に大事だと思っていて。それは世界大会のときに実感したし、自分が審査員を務めるようになってから、より一層、確信に変わったことでもあります。

大会の審査には、独自性や体の使い方、解剖学的な知識、さらには身だしなみやお客様への配慮といった評価項目があるんですけど、突き詰めれば最後は審査員の主観なんですよね。パッと見た瞬間に「うわ、すごい」と思わせられるかどうかだと思うんです。

僕が世界大会に出場した際も、単に技術を披露するだけでなく、古い理容椅子や鏡をわざわざ会場に持ち込んで、空間全体を含めて徹底的に世界観を作り込みました。技術はもちろん、コンセプトから体の仕上がりに至るまで、そうしたトータルの完成度が評価につながったんだと思ってます。

「床屋」を後世に残すために

サンルイ島 葉山店|創業40年、葉山大道沿いにある老舗パティスリー。
パリの名門ホテルの味を継ぐ「さくらんぼのクラフティー」が看板商品。
高い天井の開放的な店内で、二代目シェフが作る伝統の洋菓子と本格パンを堪能できる。イートイン可。

——世界大会での優勝、そして『情熱大陸』への出演。この一年で取り巻く環境が激変したように思いますが、ご自身ではどう捉えていますか?

一言で言えば、ようやくスタートラインに立てた、という感覚ですね。この業界に入るときに掲げた「本物のチャンピオンになりたい」という目標を最高の形で達成し、そこからパリやミラノ、香港と、海外からのオファーも届くようになって、かつては遠い憧れでしかなかった「世界の舞台」が現実味を帯びてきた。本当の勝負はここからだなと思ってます。

——その勝負の先に、太郎さんはどのような未来を見据えているのでしょうか?

最終的には、自分をここまで育ててくれた理容業界そのものに恩返しがしたいんです。正直にいって、今の理容業界はかなり厳しい状況にあると思います。客単価は3000円から、高くても5000円程度で頭打ち。男性が美容室へ行くのも当たり前の時代になりました。多くの店が既存の形を守るのに精一杯で、新しい価値を生み出す余裕が業界全体から失われている。実際、若手は減り続けているし、このままだと「床屋」という文化自体が消えてしまうんじゃないかという危機感があるんです。

——太郎さんがそこまでして守りたい「床屋文化」の神髄とは何なのでしょうか?

「床屋」ってただ髪を切るだけじゃないんですよ。丁寧にシャンプーをして、顔を剃って、マッサージをして、お客様に「ああ、今日も一日良い日だったな」と心から癒やされて帰っていただく。その一連の技術こそが「床屋」なんです。最近はカットだけで終わるお店も増えていますが、それでは本来の床屋とは言えないと思っていて。だからこそ、僕は僕なりのやり方で、この文化を次の世代に手渡していきたいんです。

——最近は実際にお弟子さんも取り始められたそうですね。

ええ。今はまだ数人ですが、将来的には、意欲のある若者を無償で育てる学校のような場所を作りたいと考えています。授業料なんていらないから、俺の技術を全部持っていけ、と。

そうやって育った弟子たちが各地で活躍して、いつか「太郎さんのおかげでお客さんに喜んでもらえました。ありがとうございました!」なんて言ってもらえたら、それが僕の人生にとっての、一番のよろこびだと思ってます。

——「ありがとう」が人生一番のよろこび。素敵な締めくくりですね。最後に、直近の目標を教えてください。

次は『ゴッド・タレント』に挑戦したいですね。サイモン・コーウェルにゴールデンブザーを押してもらいたい。冗談言ってると思いますよね。でも、こうやって口に出し続けていると不思議と叶っていくんですよ。情熱大陸の時もそうでしたから。世界をあっと驚かせる「床屋のゴールデンブザー」、期待していてください。

※記事は2026年5月時点の内容です。

取材・執筆:吉山日向
1992年神奈川県生まれ。多摩美卒。面白法人カヤックのwebディレクターを経て、2019年に『ジモコロ』を手掛けるHuuuuに入社。2026年2月に独立し、フリーランスのライター・編集者としてさまざまなコンテンツを制作する。風呂好き。X Instagram

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